大成功、大盛況のMSG2025 (SPEED SKATING)
~国際マスターズスプリントゲームズ2025:ミルウォーキー大会を振り返って~
まずは、日本選手団全員無事に羽田空港に到着され、たくさんの思い出と共に、各自各々の自宅に戻られたことに安堵し、また次なる2026年シーズンの計画を語れることの幸せに、ご参加された皆様には深く感謝申し上げます。9日間に及び一緒に過ごせた楽しかった時間を振り返ってみます。
大会名:
第16回国際マスターズスプリントゲームズ:2025年ミルウォーキー大会
16th Annual International Masters Sprint Games in Milwaukee 20025
参戦日程:
2025年2月17日出発~24日現地出国(25日帰国)
2月22日(初日:500m、1000m)
2月23日(2日目:500m、1000m)
参加者と同伴者、現地サポート(敬称略)
選手:
若月朋子F40(静岡) 加藤千栄子F60(北海道)
納 享史M50(北海道)池田 茂M70(北海道)
村山 強M65(長野) 近藤正司M70(愛知)
富成常幸M75(長野) 百瀬一男M80(長野)
西尾純雄M80(長野) 須澤英雄M80(長野)
竹内 猛M80(愛知)
同伴者:
竹内民子(愛知)奈良原真理(長野)髙井健志(山形:筆)
現地応援サポート:
Miyoshi Kato(フロリダ) Sena Kato Szczepaniuk(ボストン)
現地日本人サポート:
Chisato Shimada(ニューヨーク)Yasuko Kudo(ミルウォーキー)



ミルウォーキー大会は15年ぶり
今回(第16回)国際マスターズスプリントゲームズが、15年ぶりにミルウォーキーに戻ってきた。前回2010年開催時は、81名の参加者が記録されている。まだ日本選手が海外参戦する前の時代である。そして、二度目の開催となる今年2025年大会には、この厳しい経済状況、政治環境の中、世界7か国から総勢104名の選手が集結した。オランダから21名、ノルウェーから12名、カナダ、ドイツから各6名、モンゴルから13名、日本から12名、そしてアメリカから34名。大会最高齢は、日本の竹内猛選手で83歳。米国のインラインスケート界のレジェンドで、インラインスケートの選手がアイスに転向するきっかけを作ってくれたパイオニアのKCブーティエ選手が国際マスターズの競技者として国際舞台に戻ってきてくれた。
ミルウォーキーのリンクに初見参
ボニー・ブレア、ダン・ジャンセン、ピーター・ミューラーら数々のオリンピックの金メダリストを輩出している米国ウィスコンシン州ミルウォーキーにある米国初の屋内リンク「ペティットナショナルセンター(通称PNC)」に、日本から12選手(他、同伴者3名、現地応援サポーター2名、現地日本人サポーター2名)が初見参!1993年に建てられた世界で6番目に古い屋内リンクは、比較的屋根が低く、地元の人たちの利用者もトラック周りをランニングし、屋内で汗を流していた。オーバル内に二つのショートのリンクが設営されており、毎日子供たちのスケート教室、ホッケーの練習、ショートの練習と日程がびっしり埋まっていた。大会開催中も、リンク内では子供たちのスケート教室が行われていおり、毎日スケート愛好家であふれていた。羨ましい光景を見せられた。
競技は、22日(土)、23日(日)の両日、9時開始。今大会は早朝7時半から13時半の6時間の貸し切り時間の制限がある中、1000m競技をカルテットで行うことで、参加した100名超えの選手が十分に競技できる日程で進められた。500mはペア滑走。組み合わせは、年齢枠を省き、各人の持ちタイムでのタイムランキングで組んでおり、同組者との競ったレース展開で、観る方としても非常に見応えがあった。
また、現在世界のトップで席巻しているジョーダン・ストルツ選手の地元リンクであり、標高200mの低地リンクながら「ジョーダン仕様」に設定されたリンクコンディションは最高で、今大会4つの世界記録が樹立された。
Gerdien Verweij (F60): 44.96 (500m)
Barb Johnson (F70): 1.37.71 (1000m)
Judith Smouter (F75): 49.49 (500m) & 1.37.77 (1000m)
Victor var den Hoff (M70): 1.25.68 (1000m)
最大の難敵は時差ボケと外気温
ミルウォーキーは、日本との時差15時間(競技開始9時は、日本時間の24時)。海外大会参戦のつきものである時差調整は、いつも難敵。特に昼夜が逆転する北米大会は、日本との時差が大きく、気分も高まっていることもあり、真夜中から目がぱっちりで、各選手睡眠時間の確保に苦慮していた。ちょうど寒波が到来した時期で、大会前の週の前半は毎日氷点下15度が続き、現地の人達も外に出るのは危険だという寒さで、この大会が屋外での開催であったらと思うと、ぞっとした。滞在中は、氷点下続きも、毎日快晴(極度の乾燥)で、大会本番に近づくにつれ、徐々に気温が高まって、選手の体への負担も徐々に和らいできていたようだ。
そして、日本選手は
女子60歳部門の加藤千栄子が日本チームの先陣を切った。強豪オランダのツートップが立ちはだかる厳しい部門の中、初日は平凡な記録に終わってしまったものの、2日目は別人となり、500m(47秒70)、1000m(1分37秒11)ので自己ベストをマークし、3位を確定させ、銅メダルを獲得した。怪我で同行できなかった松本の清澤コーチは、2日間のライブ配信を観ながら、「特に光ったのが、加藤さんのスケーティングでした。以前のイメージと全然違っていました、かなりホームが改善、筋トレ等されたのではと思います。」と、褒めたたえていました。
女子40歳部門で続いたのが、若月朋子。幸先よく最初の500mで予定通りのシーズンベスト(46秒54)を記録するも、一年ぶりに再会する海外のスケート仲間との練習で張り切りすぎたか2日目は体力が続かず、ハイレベルなF40で表彰台の一角を逃してしまった。残念。
男子80歳部門の表彰台独占
今大会80歳部門に日本から4選手を送り出した。最大のライバルはモンゴルのジャルビー選手。1968年グルノーブル五輪を経験しており、前評判ダントツの優勝候補。しかし、「弘法にも筆の誤り」とはこのこと。4種目目となる2日目の1000mで、まさかの滑走レーンチェンジミスで失格となり、無事4種目を制覇した日本選手が表彰台を独占することになった。
競技前、参加者リストが公開された時点で、4選手の中ではすでに「優勝」の二文字は消えていた。今大会83歳で最高齢の参加者となる竹内猛は、なかなか国内大会でライバル須澤英雄には勝てず、この時点で、表彰台はないと決めつけており、目標の設定を「まずは完全コーナークロス制覇」に切り替えた。1000mの最終コーナー入り口でバランスを崩すことがあったが、初日の500mでシーズンベストを記録、80歳基準タイムを見事クリアし、1000mでもすべてのコーナーをクロスで回り、見事4種完滑。
海外大会初参戦の須澤英雄は、初日の500m、1000mでシーズンベストを記録した。81歳にはまるで思えないヒップホップな恰好で、小柄な体を更に丸め、リズムよくぴょんぴょんと軽快な足取りで、「いつも通り」の滑りができたと喜んでいた。
同じく海外大会初参戦の西尾純雄は、2日目にようやく目覚め、この大会のために新調したレーシングスーツを、満を持してまとった結果、500m、1000mの両方で自己ベストを記録する快挙を成し遂げた。
そして今大会から80歳部門に昇格した百瀬一男は、膝、腰に問題を抱え、歩行に難があったので、現地ミルウォーキーに移ってからも練習よりは睡眠を優先。大会前の氷上練習で軽く汗をかく程度で、当日の競技前練習もロッカーで就寝し、徹底して体に負荷をかけない作戦が見事成功した。百瀬が無事4種目目を滑走し終え、銀メダル獲得を確信した矢先、優勝候補のジャルビーが失格となり、百瀬に優勝が転がり込んで、単独滑走競技では、すでに世界記録を塗り替えている丸茂伊一以来の金メダル獲得となった。結果80歳部門は、百瀬、須澤、竹内が表彰台を独占、日本に最高の結果をもたらした。
若手男子も大健闘
男子75歳部門の冨成常幸は、丁寧な滑りに徹し、難なく初日からシーズンベストを記録するも、2日目もきれいにまとめ無事4種目完滑。男子70部門の池田茂は、初日の1000mで、700mのカーブを通過後、アウトから来る選手が見えたことで、本来アウトから来る選手が先に出ると思い、譲ってあげようとすると、アウトからの選手が、どうぞ、どうぞと池田を前に出させ、お互いが譲り合う形で、バックストレートを並走、最終的に最終カーブの直前で池田が停止し、アウトの選手を行かせることになり、大幅にタイムを落としてしまった。一方、同部門の近藤正司は、初日に思うような滑りができなかったのか、2日目の二種目で、各々2秒以上の初日のタイムを更新するシーズンベストを記録したものの、3位との差2.28ポイントで、惜しくも表彰台を逃してしまった。初日に2日目相当の記録が出ていたらと、初日の不調が悔やまれた。
男子65歳部門でのノルウェー選手との闘いは見応えがあった。初日1000mで、アウトスタートの村山強とインスタートのノルウェー選手との競り合い。すでに最初の500mでもリードしているため、1000mの最終コーナーを回った時点でもリードしており、先に最後の直線の50mに入ったが、最後の最後のゴールラインで0.08秒差、ほぼ1cm程度の差で敗れてしまった。本人も油断したというくらいで、そのショックが翌日のタイム影響し、表彰台を逃してしまった。
男子50歳部門には、腰の痛み止めを打って納享史が登場。痛みをこらえても全くぶれない、乱れのない、整ったフォームは、まるでスワンのように軽快に滑り上げ、最終1000mをシーズンベストで、チーム最終の滑走を締めくってくれた。
結果、大暴れの日本選手
金メダル1個、銀メダル1個、銅メダル3個、合計5個のメダルを日本に持ち帰ることができた。
若月朋子F40(静岡) 部門総合4位(参加5名)
加藤千栄子F60(北海道) 部門総合3位(参加6名):銅メダル
納 享史M50(北海道) 部門総合3位(参加5名):銅メダル
村山 強M65(長野) 部門総合4位(参加6名)
池田 茂M70(北海道) 部門総合4位(参加6名)
近藤正司M70(愛知) 部門総合6位(参加6名)
富成常幸M75(長野) 部門総合5位(参加6名)
百瀬一男M80(長野) 部門総合1位(参加5名):金メダル
須澤英雄M80(長野) 部門総合2位(参加5名):銀メダル
竹内 猛M80(愛知) 部門総合3位(参加5名):銅メダル
西尾純雄M80(長野) 部門総合4位(参加5名)



最後に
大会の運営は今月初旬に同会場で行われたWCを取りまとめた二人のコーディネーター(ネーサン・ミラー氏、キャロライン・スピーヴァック氏)に非常に効率よく取り仕切って頂き、トップレベルのスムーズな運営で、まったく順調に大会が進行された。ピリピリモードのトップレベルの大会と異なり、マスターズの大会の雰囲気は、非常にアットホームで、たくさんの会話が飛び交い、言葉の壁を越えて、1年ぶりに再会する仲間との時間をみんなそれぞれ楽しんでいた。スターターも選手のスタート時の緊張を和らげるように、「大人の運動会」を楽しむようにと、焦らしながら、笑いを取りながら進行してくれた。それもまた、マスターズの良さが現れた感じである。
競技を終え、その場に残って、すぐに表彰式を迎え、大勢の仲間と祝福しあい、思い出に残る大会が幕を閉じた。今回、日本選手12名、同伴者の方と共に、一緒に行動できたこと、楽しい時間を共有できたこと、この仲間に深く感謝いたします。また来年インスブルック大会に一緒に行きましょう!
珍道中の数々も、またいい思い出
17日、羽田空港で合流した。15時集合も、名古屋組は乗り継ぎの飛行機の関係から、早朝に羽田空港に到着、出発を待ちきれない、長野、松本組もお昼前には空港到着、北海道組を迎え入れ、時間通りに出発。
同日夕方、シカゴ空港到着。入国手続きもスムーズながら、スーツケースの破損あり、トイレ事情問題もあり、レンタカー会社のトラブルありと、なかなか予定通りにはいかず、何よりも氷点下20℃では流石にシカゴの夜景を観に行くのは危険との判断で、その晩はホテルでの夕食とし、翌日市内観光に出向くことにした。
翌朝のシカゴ市内観光後、ミルウォーキーに移動。現地サポートをお願いして、いくつかに分散してしまったが、無事ミルウォーキーのホテルに到着、あまりの部屋の広さに唖然とするも、快適な滞在を送ることができた。
ミルウォーキーでは、戦闘モードに切り替え、氷上練習を繰り返し、リンクの感触を確かめる時間に多くを割いた。時差調整もあり、ほぼ軽めに各々夕飯をとり、就寝。チャット(LINE)の操作方法を教え合いながら徐々に操作になれて、連絡網が構築できた。
小職においては、大会初日のオープニング、また大会クロージングバンケットで、IMSSC会長としてあいさつする機会を頂いた。2026年はインスブルック大会(MSG)が1月24-25日に、インツェル大会(MAG)が翌週開催されることを公言した。
大会も終え、シカゴの空港に戻り、いざ帰国。出国手続きを済ませ、機内に搭乗した後、機体トラブルが判明し、ゲートに戻ることになり、代替えの機体が準備され、飛び立ったのが、予定より6時間を過ぎたころ。今回集まった仲間は、予定していた乗り継ぎをすべてキャンセル。航空会社の保証もミールクーポンのみ。羽田に到着したのが、23時過ぎ。新幹線も電車も終電を逃したことで、14人全員がホテルに宿泊することになった。といっても時差ボケもあり、明け方までみんなで語り合い、早朝解散となった。
ともあれ、思い出に残る、忘れることない最高の時間を一緒に過ごせたこと。感謝。また来年!

若月朋子さん

加藤千栄子さん

納享史さん

村山強さん

冨成常幸さん

池田茂さん

近藤正司さん

百瀬一男さん

M80銅メダル
竹内猛さん

須澤英雄さん


*写真はオフィシャルフォトからのご提供頂きました。